令和6年秋 京都古典探訪

文学文化舎企画主催
王城の地の光と影―皇位継承の闇を探る

【日程】2024年10月6日(日)、7日(月)

【主な探訪先】
≪1日目≫
~洛北小野の地に惟喬親王の墓所を訪ねる~
○惟喬親王墓所、墓参
○内裏清涼殿にて惟喬親王の無念を思う
○懇親夕食会
≪2日目≫
~紫野から賀茂川の源流雲ケ畑を訪ねる~
○岩屋山志明院~王城の地の源水、物の怪と司馬遼太郎
○惟喬神社~惟喬親王伝承
○紫式部墓所と小野篁伝承

【引率と解説】
・河地 修(東洋大学名誉教授)

【実施要領】
・現地集合・現地解散(京都駅)
・集合―1日目は、11時半京都駅(昼食済のこと)
・2日目は、地下鉄北大路駅前9時集合。志明院までタクシーを利用する予定。
・懇親夕食会(10月6日夜 18:00~京都駅周辺)
・解散は、14時頃を予定

【申し込み方法】
info@bunbun-sha.work 宛にメール(お名前、メールアドレス、ご住所、お電話番号を記載)

【申し込みの締め切り】
・8月31日(土)
(どなたでも参加できますが、状況により期日前に締め切ることがあります)

【参加費】
・5,000円
・その他、現地までの交通費、現地での移動交通費、宿泊費、食事代等がかかります。

【参加費振り込み】
※参加費の振り込みをもって正式申し込みとなります、振込先は、別途ご案内いたします。

※お申し込み受付完了の返信が届かない場合は、info@bunbun-sha.work宛にご連絡お願い致します。

令和6年春 京都古典探訪ご案内

文学文化舎企画主催
「宇治十帖の旅」~宇治、小野、そして、比叡山横川~
 
東洋大学公開講座「源氏物語全巻を読む」が12月11日をもって完読となりました。ついては、このことを記念して、全巻講読の講師であった河地修(東洋大学名誉教授)の引率解説で、下記の通り、「宇治十帖の旅」を企画いたしました。今回特に「宇治十帖」を読みその世界に描かれた人々と社会に触れたことで、今も残る現地の歴史風土をぜひとも体感したいとの気持は、どなたも同じであろうと思います。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。
 
※日程:令和6年4月21日(日)、22日(月)
【概要】
1日目<12時を目途に集合(宇治橋)>
テーマその1:紫式部は、なぜ宇治の地を選んだのか!?
~「宇治」は光と影の交錯する土地
主な探訪先
○宇治橋
○橋寺放生院
○宇治神社
○宇治上神社
○恵心院
○宇治平等院
※懇親会(京都駅周辺)
 
2日目<9時を目途に集合(京都駅)>
テーマその2:浮舟物語を追う-失踪から出家まで
~浮舟はどこへ行くのか?
主な探訪先
○小野-浮舟出家の地-紫式部はなぜこの地を物語の舞台に選んだのか?
○比叡山(東塔、根本中堂から横川、恵心堂へ)
※東塔にて昼食後、自由解散
 
※現地集合現地解散(現地までの交通費、現地での移動交通費、宿泊費、拝観料等は自費とります)
※解説:河地修
※引率:河地修、他1名が当たります。
※参加費:5,000円
(参加費の振り込み納入をもって正式申し込みとなります。キャンセルの場合は全額返金)
※参加申し込みは、info@bunbun-sha.work宛に、お名前、メールアドレス、ご住所、お電話番号を記載の上お願い致します。
※参加を希望される方は、早目のお申し込みをお勧めします。
※申し込み締め切り-令和6年2月29日(状況により早まる場合がございます)

令和5年「京都古典探訪」報告(1)

実施日:令和5年11月5~6日
参加者数:総勢14名
企画主催 文学文化舎

11月5日(日)(1日目) 
上賀茂神社へ
この時期の京都は、紅葉のシーズンにはまだ遠い。従って、観光客はどうにもならぬほどの多さ、というほどのこともなく、公共交通での移動も比較的スムーズである。
集合は、午前11時半、東西自由通路の「京なび」前。当日初めてお目にかかる方もおられたが、全員無事に集合。総勢14名のメンバーは、まず上賀茂神社へと向かう。京都駅から始発となる市営バスは、むろん全員着席することができて、窓外の風景を楽しみつつ揺れるのも心地よい。
上賀茂神社前に到着して、バス停のロータリー周辺が、以前とは見違えるように新しく整備されていたのには驚いた。こういったところが、「世界文化遺産」に登録されたことの結果なのだろうと思う。私の昔の記憶では、たとえば、下鴨に比べると、上賀茂への観光客は少なかったから、なんとなく、バス停のあたりももの寂しい感じがしたのである。しかし、その当時に比べると、ずいぶんとにぎやかになった、といつも思う。「世界文化遺産」という看板が存在すると、間違いなく観光客は増えるのである。観光が経済活動と密接に連動するものである以上、古都という名にふさわしい静謐な環境は、もう取り戻すことはできないであろう。
さて、上賀茂神社である。山城盆地の原点こそ、上賀茂神社であった。遥かに時は遡るが、ここが、古代賀茂氏の氏神として祀られたことは言うまでもなかろう。
古代山城盆地における賀茂氏と秦氏の存在こそ、今日の「千年の古都」の礎であった。盆地の北部山地に大量に降る雨が大量の土砂を運び、その堆積によって盆地が形成された。形成されつつ降雨は繰り返されるので、当然のことながら、その処理の問題があったであろう。つまり、河川の整備であった。その一方の役割を担ったのが、賀茂氏であり、秦氏であった。秦氏は、盆地の西、丹波方面から流れてくる保津川流域の治水に当たったと思われる。
賀茂氏が「神山(こうやま)」を重視したのは、このあたりに発生する雷雨の激しさがあったのではないか。集中して発生する雷雨は、一気に盆地の中央へと流れ出る。大量の水と土砂の流入を防ぐことが、山城盆地を活かすことであった。現在の賀茂川が、後に付け替えられたものかどうかは措くとしても、神山周辺に集中して降る豪雨に、人々は恐怖を感じたに違いない。ここに「雷神」を祀る理由があったのであり、畏怖と報謝に基づく「賀茂別雷大神」への信仰となった。

上賀茂神社の「権殿」
今回の探訪では、境内の「本殿」「権殿」の拝観と神職の方の解説が聴ける特別参拝は任意とした。有料であることと、メンバーの中には、すでに特別参拝は経験済みという方も複数おられたからである。
ところで、「本殿」が神の本来の座所であるならば、その隣にある「権殿」という建物は何なのか?という問題がある。これは、解説でも聴けることなのだが、式年遷宮(二十一年に一度修繕する)を行うにあたっては、神は「本殿」から一時的にお遷りになる必要があるということで、そういう意味での、仮の「殿」ということなのである。
この「権(ごん)」という漢字にはもともとそういう意味があるのであって、『日本国語大辞典』にも、次のような記述がある。

(実に対して)仮のもの。臨時のもの。

たとえば、古典文学によく出てくる「権大納言」や「権の守」などといった官職の「権」がそうなのである。わざわざ「もう一つの」官職(本来の官職の俸禄を伴ったようである)を作ったのは、増加する一方の貴族たちの不満の解消策でもあったが、当然のことながら、朝廷の財政は逼迫した。
そういう意味では、上賀茂神社の場合、「権殿」には、21年間神はいらっしゃらないということになるが、別の見方をすれば、壮大な無駄とも言えるような余裕が、山城国の一の宮としての格式というものなのであろう。
ただし、「賀茂別雷大神」の降臨は、雷である以上「神山」であって、この神社の場所ではない。人々の具体的な信仰の場所として、この地が選ばれ「本殿」「権殿」という形象になった。同じような事情が、この次に訪れる下鴨神社にもあるようである。

令和5年度探訪旅行-京都-ご案内

2023年11月5日、6日に京都探訪旅行を実施する予定となりました。

京都古典探訪 王朝文学文化の源泉を尋ねる 企画主催:文学文化舎
【日程】
・令和5年11月5日(日)~6日(月)
【主な探訪先】
≪1日目≫
~平安京はこうして護られた~
○賀茂の社(上賀茂神社・下賀茂神社・御蔭神社)
○崇道神社
≪2日目≫
~天皇家と藤原北家~
○京都御所
○藤原道長土御門邸跡
○藤原良房染殿跡
○蘆山寺(ろざんじ)周辺
○紫式部墓所
【引率と解説】
・河地 修(東洋大学名誉教授)
【実施要領】
・現地集合・現地解散(京都駅)
・懇談会(参加は任意)11月5日(日)19:00~
・集合―1日目は、11時半(昼食済のこと)・2日目は9時、いずれも京都駅
・解散は、14時頃を予定
【参加費】
・5,000円(その他、宿泊食事代、移動交通費等がかかります)
【申し込み締め切り】
・9月30日(土)
(どなたでも参加できますが、申し込みの状況により締め切ることがあります)